実家の父。私の父。子供のころから、母を初め、学校の先生、近所のおばさん、親戚のおばさん、みんなが美人の姉をちやほやしていたのに対し、私の父と父方祖母だけは、私をかわいがってくれた。理由は、たぶん私が父や父方祖母に似ていたから。そして、母は、当然ながら姑そっくりの私のことはあまり好きじゃなかったみたい。
というのはよけいな前置きだけど、この父、退職後からわりとすぐにボケ症状が出始めて、70歳になったころには、地域の自治会活動の配り物の仕分けにやたら時間がかかるようになって、何をするにも要領が悪くなってきたようだった。さらに、器具の組み立てとか機械操作とかはもともと苦手で、ワープロやビデオデッキの操作など、何度教えてもすぐにわからなくなり、教えてくれと電話がかかってきたことが何回もあった。さらに、暇なものだから朝から焼酎をちびちび飲むようになり、ここ数年は水分=焼酎という状況で、24時間、ちびちび、ちびちび。すると、並行してボケ症状は悪化し、2年ほど前からは酒が入るとうまくしゃべれなくなり、ネクタイの結び方も忘れてしまったたと母から聞いた。
この時点で疑うべきだったのかもしれない。認知症を。
でも、父はいつも酒を飲んでいたから、よっぱらいのせいでボケがひどく出てるんだろうとしか思っていなかった。
父は、何事も自分のいいように勝手に解釈し、人の忠告をきかない。医師の忠告もきかない。そして、基本的に母のことはバカにしているので、母の言うことは全く聞かない。
私は、年3、4回ぐらいしか父に会わないのだけれど、今年の正月に一連のボケ症状としゃべれない状態がひどくなったなあと感じていた。次に3月に家族旅行に行ったとき、さらに進んだなあと思った。気がかりだったのは、それまで3食欠かさず食べていた刺身を正月には食べなくなっていた。さらに、同じく3食食べていた豆腐も3月には食べなくなっていた。お腹に入れるもののうち、焼酎の比率がどんどん高くなっていたのだ。
ここで病院にひっぱっていくべきだったのかもしれない。
その後、徐々に食事が減り、焼酎が主食状態となり、さまざまな症状が悪化したようだ。6月に母からS0Sを出されていたんだけど、夏になったら暇になるから行くからとすぐに動かず、夏は夏で家庭教師が毎日ようになったからやっぱり動かず、なんだかあの父を見るのが億劫で3月から放置していたのだが、8月のある日、とうとう母から切羽詰まった声で電話があった。
恐ろしいことに、父はそんな状態になっていたのに、車の運転をやめなかったのだ。
酒気帯び運転・・・犯罪行為を毎日繰り返していたのだ。
もちろん、放置していたわけではなく、私や東京に住む姉が何度も注意をし、警察にも相談をしたけれど、警察は事件や事故を起こさないかぎり、何にもしてくれなかった。
その日の母の電話では、父が車の運転操作を忘れ、明けた車の窓を閉めれなくなったということだった。
とにかく、もう車を運転してもらったら困るから、私の夫を連れてきて、何とか一緒に車をやめるよう説得してほしいということだった。
その日の家庭教師をキャンセルして、急きょ一人で実家へ。そこにいたのは、餓鬼の形相をした父だった。
極度の栄養不良・・・。歩くのもよぼよぼ状態で、目はうつろ・・・。
とりあえず、病院へ連れていった。
父は、病院へ家族がついていくことをかたくなに拒んでいたのだが、さすがに四の五の言わせず私の車で連行。父は、それまで「肝臓もどっこも異常はない」と言い張っていたが、医師に検査結果を見せてもらうと、肝臓はひどいありさま・・・。当たりまえだわ。父はずっとだましていたのだ。酒を飲めなくなったら困るから。
医師は、肝臓の専門医。その医師の診立ては、ウェルニッケ脳症。つまり、アルコール中心に食(?)生活による脳の栄養不良で、認知症のような症状が出ているとのこと。まずは、断酒をと、父にもずっと言い続けていたらしい。
その言葉を信じ、断酒プランを家族で話し合い、父にきつく言って、実家を引き上げた。
しかし、父は一向にお酒を減らせない。父的にはちょっとは減らしたらしいが、やっぱり飲んでは車に乗るし、ビールは酒じゃないと言い張る。
この時点でおかしいと思わなきゃならなかったんだけど、それでも私は酒のせいだと思っていた。
母の言うことはきかないし、私がいなくなるとさっそく約束が守れないので、東京から泊まり込みで姉がやってきて、私の夫の立ち会いのもと、とにかく飲酒事故をされては困るので、車を強制的に撤収。この日から、姉の監視のもと、車なしの生活が始まった。
これで長年の懸案の飲酒運転がなくなったので、ひとまず私たち家族は安心。あとは父の健康管理だけということで、姉のきびしい監視により、父は晩酌1杯だけというすばらしい節酒に成功した。
しかし・・・姉が一緒に暮らしだして、次々に明らかになる父の行動異常・・・。これはおかしいぞということで、またもや抵抗する父をだまし、だまし、神経内科を受診。その医師は、父の姿をみるなりに「アルツハイマー」を確信したらしく、長谷川式テストを実施。結果は正真正銘の認知症だった。
医師の目には、父の姿を一目見たら確信できるほどのアルツハイマーだったのだ。
さらに医師は、これは恐らく、10年か15年前ぐらいか兆候があったはずと・・・。
思い当たるふしはある。いろいろ。それらは、認知症の初期症状だったということなのか・・・。
そして、またまた抵抗する父をだまし、だまし、この神経内科に転院し、アリセプトの服用が始まった。
酒を控え、きちんと栄養管理を行い、アリセプトを飲み始めると、父の身体機能はみるみる復活し、頭も大分ましになってきた。
これで一緒に暮らす母も少しは楽になるか・・・と思ったのは大いに甘かった。
当然、自分が脳の病気になったという自覚はなく、いまだに何でも自分ができると信じて疑わず、自分が正しい、まわりがバカだという超ウルトラ自己チュウの救いようのないほどわがままな性格の父は、これまでになくひどく暴走しはじめた。
まず、なんといっても「車を返せ」。車、車、車・・・。
あと、金、金、金・・・。
異常なまでの固執・・・これも症状の一つのようだが、もとの性格が悪いもんだから、手を付けられないほどの暴走をする。
さらに近所を工事している工事現場の人を叱りつけたり、近所とトラブルを起こしたり。
とても母には面倒みきれないので、姉が東京と実家を行ったりきたり・・・。
これは一刻も早く、施設介護をしてもらわないと、母一人では介護ができない。要介護1の認定を受け、ひとまず、デイサービスに週3日通い始めた。もちろん、だまし、だまし作戦で。
さらに、あれこれあって、私はとうとう母と決裂してしまった。たぶん、永久に。
こんなことになるんだったら、なぜ8月に実家へ行って父を助けたんだろう。
あのままほうっておけば、恐らく春を迎える前に死んでくれたかも・・・。
ただ、あのときは車をやめさせるのが必死だったからなあ・・・。こんなことになるとは予想できていなかった。
父も父なら母も母。二人とも自業自得。とはいえなあ・・・・・・。
最近のコメント